スーパーアートライフ

日常、買い物、ガジェット、アイドル、音楽、ASローマあたりのことを書く日記です。陸マイラー活動でハワイ旅行とか遠征してます。子2人の4人家族。

渡良瀬橋(後藤Version)

一応期間も開いたということで、気持ち的に怒りのテンションも収まりつつはあるところです。罪を憎んで人は憎まずと書きましたが、逆に人は憎ないけれど罪は憎むということでもういっちょ。
大前提として繰り返すと、ごまが「渡良瀬橋」を歌うことがダメなんじゃなくて、誰が歌ってもアウトということ。そして罪を憎んで人を憎まずというのは、後藤だけを憎まないんじゃなくて、今回の方針を決めたつんくや製作にかかわってるスタッフや事務所についても同じです。というのは、やっぱり松浦を見つけてくれた恩というのが最優先されるから、文句はあるにせよ憎めないんです。愛着があるというか愛情があるというか。そんな感じです。
で、何に憤慨してるかというと、「渡良瀬橋」という曲を軽んじて扱ってるように感じたから。○○Versionなんて、シャッフルとかごまっとうみたいな、ある意味お遊びの曲で誰も一定以上の思い入れを持てない曲でしかやっていなかった。*1その中に「渡良瀬橋」を放り込まれて、同一線上に置いて同じ扱いをしている事が全くもってありえなく、怒りまくってるわけです。
知らない人もいると思いますが*2、松浦がどんな気持ちでこの歌を歌ったのか。
レコーディングを重ねても納得が行かなく悩んだこと。そして秋ツアー初日で歌った時に何かを掴んで、帰りのその足でレコーディングをした事。森高千里が歌ってた曲を歌うということに責任を感じ、森高のファンにも森高千里本人にも納得してもらうように努力したこと。自分自身を「渡良瀬橋」に重ねたこと。実際の渡良瀬橋に森高へのメッセージが書かれているのと同じように、自分もそこに書かれるくらい歌い上げたいと思っていること。歌いだす前に必ず「魂を込めて歌います。」と毎回宣言してから歌っていたこと。そして、ツアーの会場の客の顔を見て「みんなに認めてもらった」と確信と安心をして、ホッとしてそして満面の笑みを見せたこと。照れながらも「「渡良瀬橋は自分の曲と思って歌わせてもらってる」と言ったこと。足利で自分の意思で「渡良瀬橋」を2回歌ったこと。
ここまで書くとわかってもらえると思うけれど、カバーだけれど自分だけのオリジナルの曲以上に思い入れが強いわけです。感情が篭ってるわけです。多分他人の歌を歌うからこそ、責任も感じて、その責任を果たすことが「自分の曲」にするということ。そう意識で歌っていたと思うんです。思うというか、それは断言できる。だから、受け止め方は人それぞれだけど、「誰が歌っても同じでしょ?」とか見かけると、まぁ腹は立ちますね。
「他人の曲」だけど、自分の曲以上に「自分の曲」なんです、「渡良瀬橋」という曲は。松浦がそう思うということは、彼女を見て応援してる側の人間も同じなんです。その曲を、軽々しく○○Versionなんて。これは松浦に対してものすごく失礼だと思うんです。僕みたいなファンは怒るだけで済むけれど、本人に対してはものすごく失礼。普通考えたらそうでしょう?
今日3rdステーションのつんくのコメントを見たら、アレンジが馬飼野康二から高橋諭一に変更になってた。ということは、ただのカラオケで済ますということではないみたい。これは本当によかったと思う。お遊びの曲と同列にされなかったと言うこともあるし、後藤のための「渡良瀬橋」を作ったというのが大きい。もちろん同じアレンジだったら後藤が歌うことによって松浦の「渡良瀬橋」に上塗りするという事ではなく、どうせやるならばしっかりやらないと後藤に対して失礼だし、それ以上に松浦に対して失礼だと思うから。
ただ、本心としては松浦だけの「渡良瀬橋」であってほしいという気持ちはずっと変わらないと思いますが。
ひとついえるのは、後藤が歌うからといって、松浦の「渡良瀬橋」が薄くなるわけでもないし、込めた魂が抜けるわけでもないし、自分が感動した思いが薄れるわけでもなければ、思い出が消えるわけでもない。輝きとか感動は変わらない。
ま、決まっちゃったもんはしょうがないですから。いろいろ書いてすっきりしたのもあるし、多分これでおしまい。
※松浦本人がどう思ってるかは僕にはわからないんで、「渡良瀬橋」を自分の曲にしようと歌っていると断言したこと意外は、全部僕の意見ですので。推測も決め付けもしてません。一応ね。

*1:「口づけのその後」とか「未来の扉」は後藤の思い入れがあるので除外。

*2:亜弥ヲタは多分みんな知ってると思う。